正直、面倒くさいと思っていた。

中学二年の時にクラスが一緒だった、現在は韓国に住んでいる友達が、
わいの帰国時に合わせて帰るから、またSと一緒に飲もう。多分Tも来る予定!と
誘ってくれたのだった。

中2時代は自分の中の暗黒時代で、それといって良い思い出もなく、
自分の中で消し去りたい年号に入るほどの時代であり、
実際に中学の友達とは、一切連絡を取ってもいなかった。

勝手な想像だが、一度社会に出れば逆に中学、高校の人達と
つるんでいる人達の方が少ないのかもしれない。
最終学歴で一緒になった、あるいは職場が同じ人とつるむことが
多いのではないだろうか。

韓国に住んでいる友達は、逆にこの中2時代が人生で一番面白かった時代らしく、
この中2時代の時しか、覚えていないほどの強烈な思い出だったそうで、
人は色々なんだなーと思わずにはいられなかった。

時は超昭和時代、超体育会系で、ちらほらいくつかのクラブが
近畿大会等常連だった近所の中学校。

この団体的村社会で生きる息苦しさ、運動部では必ず体罰はあったし、
先生によるセクハラ、パワハラ、モラハラの3大ハラは当たり前、
クラブでの1年早く生まれただけの先輩による、
訳のわからんいじめ、運動部に入らなければ=オタクのレッテルが待ち受けており、
わいの当時の思考回路からは、全てにおいて全く意味を成していなかった・・・。

なんやねん・・・この世の中は・・・。

そんな反骨精神たっぷり、いわゆる”扱いにくい”生徒だったわいは、
中2時代ほど、こんな理不尽な話があるかぃ。
こんなクソなとこすぐに出てってやる!!と何故か新天地を
この時から探し求めていた。体罰や暴力をおかしいといえる環境を
変える事ができない自分と【中学校】という縛りに苛立っていた。

全くをもって無力だったのである。

(聞けば、あの先生、やっぱりその数年後に逮捕されたらしい。というのも今回聞いたので、
やっぱり酷かったんだと思う。)

自分ではそこまで意識をしていなかったが、高校卒業後はやはり、
海外に出たいと考え、現在通算で考えれば、人生の半分がほぼ豪州時代を過ぎようとしており、
菊の御紋のパスポートを持ちつつも、日、本人、です?とクエスチョンマークが
うっすら脳内に現れるようになってきたところだ。

おまけにメルボルンで出会える人々のキテレツさにどっぷりと魅了されまくり、
様々な刺激を受け、正解とは、今の自分が、今見出すもの。の国で揉まれ、
思考や正解が変化し続ける自分がそこにいたと思う。今、を生きている実感があった。

それとは対照的に、地元に残って暮らしている、井の中の蛙的な存在の人達を
ずっとぬるま湯に取り残された人でかわいそう、と見ていた自分がいたのは確かだ。

同級生の2人に前回会った時も、居酒屋で周りはタバコを吸うし、
終盤頃には喉が痛くなって、「こんな会ならもう行きたくない。」と思ったのも
正直なところであった。

そんな風に少し離れた目線で、【自分とは違う】と
見ていた中学の同級生達との会合が近づく。憂鬱な当日。
「行けば絶対楽しいって!!!」と妹に見送られながら、地元ならでは、
チャリで会場へ向かった。

結果、、、

とても楽しい会合だったのだ。

自分でもとても意外だった。

今回、もう一人小学校時代から自宅の裏に住んでいたT君も来て、
男子、女子の隔たりがなくなった40代の中年おっさんとおばはん達。笑

その当時は知らなかった、実はあの時・・・的な話を聞いて
目から鱗だったり、子供とは本当に無力で、親や周りの影響をめちゃくちゃ受けること、
今自分達が親になり、子供/パートナー/家族にはそんな辛い思いをさせず、
楽しく幸せに過ごさせてやりたい、という同じ目的があることを思うと、
何ら自分と、いや人間の本質ってそう変わらんのだな、と思いを新たにしたのである。
みんなそれぞれに、頑張って生きている。

T君は今や個人事業を営む社長になっており、
来年には株式上場も目指している、とのことで、すごく尊敬できた。
好きな車の事をビジネスにしている点では、見習い期間等も含めると、
独立までには多少の時間もかかったようだが、確実にまえを向いて進んでいる。
家族で行く年に一回の海外旅行が今は楽しみだそうで、もし家族が中古車買う時は
任せとき。いつでも連絡ちょうだい。と名刺ももらった。

前回はタバコを吸っていたもうひとりの友達Sちゃんは、
現在有効なパスポートはなく、地元密着型のサラリーウーマン、
この間自分で擦ってしまった車体の塗装を自分で治そうと思って
youtubeを見て挑戦したらしい、笑 器用な女性。

「タバコもやめてんー。」とSちゃん。
T君は今流行りの電子タバコだけど、気を使ってか外でタバコを吸ってくれ、
感謝!!!!(喉いたいから嫌とか言わずとも)そんな気遣いをしてくれる人と
ご近所さん&同級生でよかった。

Sちゃんとはこの帰った時にしか会わない、+年に数回LINEで話すほどの疎遠ぶりであるが、
「何でも言うてくれたら送ったるから、いつでも言うといでー。」
言ってくれるほどであって、なかなかそんな事をお世辞でも
言うてくれる人に出会ったこともないので、とても心に染みた。

ただ実際には豪州への送付は若干面倒な事が多いので、
その手間の事を考えると、実際に頼むことはほぼないとは思うが、
その気持ちだけで、十分すぎるほどに心の余裕が生まれたのは確かだった。

なんとなく帰り道にSちゃんやったら、生活に困窮したりして、
お金貸して。と言っても貸してくれそう。
な、そんな不思議な確固たる自信があった。
(実際借りることはないが)

多感な幼少&子供時期を一緒に過ごした、というだけ、
いや、そんな貴重な時代を一緒に過ごしたからなのか、
全く会ってなかっても、すぐに「どうよ〜?最近?」で始まるこの間柄、
今思えば、とても貴重な友情なのかもしれない、と見落としがちだが、
離れていても大事にするべきものなのかも。と思った今回の日本での発見であった。

しかも中学当時なんてわい、きっと一人めっちゃ浮いていたはずなのに、
大人になってからも、わざわざこうして帰国日を合わせてくれて、
会合にも誘ってもらえるのに、面倒くさい、なんて思っていたわい、
なんていやらしい(大阪弁で嫌なという意)女なんや、と猛省した所存。
ごめんなさい。

今はそこには定住しなくとも、自分の通ってきた過去、
足跡がこの地域には確実にそこにあった。

そしてそれと同じく、その足跡に付随する思い出や
友情もそこには存在していた。

 

 

あとがき

今朝、道を横切る時にすれ違う車の車内にいたのが、
ルーの同級生のお母さんで、すれ違いざまにお互い手を振った後に、ふと、
自分の居場所、というものを考えました。

来年ルーが日本の小学校へ体験入学に行く時、こういうつながりは
果たしてあるのか。自分も卒業した小学校なので、一人二人は
自分の同級生のお母さんもいるのかな、と思ったり。

それがこの今日の記事に繋がりました。

地元愛、再熱です。^^

 

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