プロフィール

このブログの作者、ponzu aka Akiについて少々。

在豪歴トータルで17年ほど。
豪人夫、2013年生の娘一人、黒猫一匹、
オーストラリアのメルボルンで暮らしています。

2018年現在は5才娘(プレップ/年長さん)のおかん業と
兼業で週に2〜3日仕事に出ています。

そのスキマ時間でこのブログをしたり(13年目に突入!)、
趣味の写真を撮ったり、美味しいものやカフェの取材という名の
お出かけに行ったり、笑 友達の仕事なんかを手伝ったり、
学校や畑でボランティアしたりしています。

基本、自分が面白そうだな、と思う事には積極的に参加するタイプで、
特にサラダ好きで、世界の食にまつわる事を探求することや、
健康的な家庭料理を作る事、環境に負担の少ない暮らしをする事が好きです。

時系列で自分の歴史を遡ってみました。

 

2017年
12年続けてきたブログを本格的に.com仕様にして、
世界のどこにいてもノマドスタイルで
ブログは続けられ+収入を得られるのか?を模索&勉強中。

食べ物が私達の口に入るまで、のプロセスがとても気になるので、
一番始めの生産者の位置で近日勉強させてもらおうと計画中。

。。。で、実行しました!(あとがき)

畑へ行って収穫作業手伝い、卸市場やファームゲート市場も見て、
その野菜の箱詰めもして、消費者まで送り出す作業を手伝い、
1つの野菜や果物が、自分達の手元に届くまで、すんげー人数の人が
関わってくれたおかげで、そこにある、ということを意識できて良かった。

これはでも食べ物だけに限らず、服や全ての事柄にまつわる事で、
それを絶対に忘れてはならない。と実感。

 

2016年
カフェの仕事で給料の未払いが続き+
手荒れもひどくなりだしたので辞職。

結局はオーナーがすごく壮大ヒッピーすぎた。(;・∀・)
カフェを盛り立てようと頑張ってみたが、動く大本が動かず、
結局無理。

でも今になって、↓こうだったのかな、とも思う。
コーチング?アドバイスってどうよ?そこに潜む自分のエゴ

お客さんから、サラダは好評を頂いていたので、将来、店舗は持たずに
移動形式のサラダ屋ができたらいいなーと夢は大きく。笑
冷蔵庫の余り野菜等でサラダを、即興で作るのを得意とするので、
余剰作物なんかがあれば、それを生かしてサラダにして食べてもらいたい。
次はもう少し色んな人に食べてみてもらいたい。と野望を持つ。笑

その時から作っている、みなさんに好評いただいている
カリフラワーサラダはこれ。

とにかくオススメしたいカリフラワーの簡単サラダ 総集編

またCERES Fair Foodに戻り仕事再開。

 

2015年
かねてからのサラダ好きが高じて、
ヴィーガン/ベジタリアンカフェのクックになる

プラントベース(野菜や果物、植物だけで出来る食事)の
可能性がとても面白くて、やりがいのある仕事だった。

 

2013年〜2014年
出産、育児/育自開始
必死のパッチ。笑

カウンシル主催のプレイグループリーダーシッププログラム、
コミュニティーリーダーシッププログラムに参加。
行政&コミュニティの繋がり方等を色々勉強させていただいた、
いい機会だった。

 

2012年
事務の仕事と共にCERES Fair Food での仕事開始

色んな人種の人達と働く楽しさを知る。(CALD環境)
2012年末、出産&育児に備え、離職。

 

2008年
CERESのハーブガーデン等でボランティアを始める。
公立学校でのティーチャーズエイド(教員補佐)として、
事務等も担当する。

 

2007年〜2006年
撮影用食材がボンボン捨てられていく様を目の当たりにし、
これがわいの求めていたものか?と疑問を感じ、フードスタイリストへの夢、
あっけなく断念。Ω\ζ°)チーン。 この頃からサステイナブルな暮らしへの
思いがもっと強くなりはじめる。

 

2005年
レシピ本の編集社で、念願のフードスタイリストアシスタント開始。
アシスタントの合間に学校の事務も手伝ってくれないか?と
アート学校での事務も開始。

この時からスタイリングやカメラの練習も兼ねてブログを始める。
もろてん。(エキサイト版)

 

2004年
AMES卒業後の進路として、フードスタイリストの道はどうか?と思い、
その前にベースとなるアートの目はあるのか?というのを試したくて、
アート学校でApplied Designを学ぶ。

1年で9教科をこなす、今迄で一番忙しかった濃厚一年。
陶芸にはじまり、イラスト、美術史、写真、ペインティング、グラフィック、
立体等多岐に渡り経験して、アートておもろい〜〜〜とずっぽりハマる。

唯一、頑張ってみたが結果が出なかったのはプレゼンテーション。
日本語でなら何とかいけるとは思うが、英語での10分プレゼンは慣れていないし、
緊張して、ほっとんど話せなかったのが、とても悔しい思い出。

これはいつか乗り切らなきゃ行けない壁なのかな、と思いつつ、
人前やグループ内での発言は比較的頑張ってするように努力してる。

 

2003年
政府が移民者用に開設してくれたAMESという
英語学校に510時間通う。

永住者としてオーストラリア社会に馴染めるように
トレーニングを受ける。笑 そこで、今でも家族のように
親戚のような友達と出会う。

 

2002年〜2000年
大阪で暮らす。旅好きな両親が旦那共に色々と日本国内を
連れ回してくれた。本当感謝♡

家族や職場の人達と色んな思い出が出来て、楽しい日々。
当時はネット環境がそこまでよくなかった為、娯楽はビデオ鑑賞。
たくさんの映画を見つづけた年。

日本を出る前に3ヶ月バックパックで夫と一緒に
東南アジア放浪新婚旅行旅に。
アジアうめ〜〜〜〜〜〜〜〜♡。この時から拍車をかけて
アジア料理が大好きに。

同年11月からメルボルン生活をスタート。

 

2000年1月1日 (なので、今の日にちが結婚年数カウント!笑)
22歳で結婚。幼妻〜!と友人らからは冷やかされるが、
”モンダイ ドーター”(問題娘)が嫁いで、父はほっとしたと思う。笑

 

1996年
ブリスベンで1年半、英語&ITの触りを(インターネットやら
Winオフィスが出だした頃)この時みっちり英語で勉強して、
色んな国の人達と青春を謳歌しまくって、世界には色んなとこがあるんやなーと
視野を広げまくりつつ、そのついでにちゃっかり今の旦那と出会って、笑
日本に帰国。

1997年に夫(当時:彼)が日本にワーホリで来た。

と、まーこんな感じで、

なんでオーストラリアに行ったの?とよく聞かれるんですが、

小中高を公立学生で過ごすも、
【出る杭は打たれる】【沈黙は美徳】的な教育に
小学4年生ぐらいの頃から疑問に思い始める。

そんなブラックシープ的で体罰ありだった、
暗黒の中学時代を過ごし、(2年先輩にaikoさんがいた)
自由な校風のレフトっぽい高校で、おもしろい先生陣に恵まれ、
人権とは?倫理とは?世界とは?みたいな【考える】事を学んだ高校生活。

ふふふ。学生運動がめっちゃ盛んだった、
京大卒業の先生が多い学校だったんですよ。笑

そんなことから、進路の決断の時に、短大でバイトして、
コンパして、、、っていうのをするのがアフォらし、と思い、
もっと世界を見てみたいなーという思いで、渡豪した、というわけです。